竜とそばかすの姫(通称:竜そば)はディズニー映画の美女と野獣をネット上でのストーリーにしたものであると話題になっていまよね。
細田守監督も美女と野獣の映画が大好きであり、現代社会のインターネットを介して表現できたら、どんな恋物語になるのか挑戦したかったと話されています。
仮想世界の星空の下で抱擁するBelleと竜や惹かれあう2人など美女と野獣のシーンを思わせる美しいシーンがいくつも出てきます。
また、背中に心の言えない無数のあざがある竜の姿vsとても我儘で傲慢な野獣の言えない真実が対比されていますね。
作品では野獣の正体は王子だったが、竜の現実世界での正体は誰なのかといったミステリー映画のキーとなり人気なっています。
このような想いで完成した作品の竜そばですが、ディズニー映画と反応が少し異っている声も聞かれます。
「子供に見せたくない」「気持ちが悪い」「残酷」「現代の虐待を助長している」と酷評の声も聞かれています。
ここでは竜そば子供に見せたくない?なぜ気持ちわるいとの酷評がある原因は何かについて紹介します。
竜そば子供に見せたくないシーンとはどこ?
子供と一緒にTVを観る時は教育上、問題がないか選定するのも親の責任に一つですよね。
今回、竜そばのどこのシーンが子供に見せたくないと思うのか私的を踏まえて紹介しますね。
竜そばの子供に見せたくない虐待シーン
私も子を持つ親としてちょっと気になったシーンがあり、ファンの方々も一緒だったようです。
竜の背中にあざは心の傷であり、竜の正体であるけい君は父親から虐待を受けていたことが判明します。
すずはけい君を助けに家に向かってけい君ととも君に会い守ろうとしますが、突然やってきた女の子が「自分を批判した」「自分の家族を引き離そうとしている」と思い父親は動揺します。
父親はけい君ととも君を必死で引き離そうとすずの顔を掻き傷をつけ殴るしぐさをします。
子供に一番見せたくないシーンの中で虐待シーン対する声は多かったように感じます。
さまざまな事情や背景を知りながら虐待親に会いに行く場面で大人たちが誰一人社会的な態度取らずに送り出す演出がある。監督・制作者の異常な倫理観である。
虐待を受けている児童に「立ち向かえ」「勇気を持て」と正義に満ちた魂の叫びを見せつけられているため、自分も同じようなトラウマがあったから考えて欲しかった。
虐待していたお父さんの最後が気になった。その後が描かれていないため、現代社会ではアウトである。
虐待が生々しく描けてるのにそのあと軽く片付けられてスト―リーは終了しているので安易に子供には見せられないです。これが許される社会であると言っているようなものです。
虐待を問題視していることを描いているんだろうけどフィクションで終わってしまい現実は何も解決されないまま終わってしまった中途半端な映画であった。
映画自身は個人的には良いと思うけど親から罵声や虐待を受けているシーンがトラウマになってしまった人や虐待行為を見たくない人はあまりおススメ出来ない。
何を言いたいのかわからない。虐待への対処法について自分達で行動をして下さいといっていたのか意味不明であった。
現実の世界で父親からの虐待のストレスをUの世界で発散していたのかと思うとかえって虐待やいじめに繋がります。仮想世界でも彼の居場所はなかった
それぞれの子供たちの顔バレもしてしまい、かつ虐待の事実もわかっても何一つ解決してないまま終わってしまう。女子高生の成長した演出だけで流してしまっていいのだろうかと疑問に思います。
父が子供に対して「お前には価値が無い!!」って言うシーンが自分の父親にも似ていて観ていて辛かった。「14歳なのにそんなこともわからないのか!?」って言ってたけど、40?過ぎてもそんなこともわからないの?」と言いたい。
手は出していないから身体的暴力はしてなさそうだけど「消えろ」「誰のおかげで生活が出来ている」「親のいう事が聞けないんのか!」は言葉の暴力で精神的暴力だよね。
最後「僕も闘うよ」ってセリフは無いと思います。今まで頑張ってきたのに、もっと追い打ちをかけるように頑張れと伝えたかったのでしょうか。
個人的にも一番ショッキングな事象であり、子供に魅せるならもう少し配慮やフォローは必要であると感じています。
モヤモヤした感じだけ残り、もし虐待を受けていたファンがいたなら少し配慮を入れるべきではなかったのかなと思う箇所もありましたね。
現代社会の虐待と照らし合わせて伝えるには専門家を含めてもう少しセンシティブに映画を扱い終わり方も大切にしなければ行けなかったのではないかと思います。
映画が終了してもけい君ととも君を心配する声は後を絶たないと思いますが家族でしっかり話し合うきっかけにもなりますね。
一方で、虐待シーンを観てこんな意見もありました。
1番大事なことですが 虐待経験者の苦しみの辛いところは「孤立」するところです。 色んな意見も認めつつ、辛い記憶を体験した人たちが孤独にならないよう、「辛かった」と言っていいんだよと表明できることが1番大事だと思います。
竜そば虐待サバイバーは見るな言うけれど、機能不全の家族側からすると保護し助けてくれようとする。自分の危険も顧みず飛んできてくれる人がいるのは純粋に羨ましいです。
虐待やいじめを正当化は出来ませんが、助けを必要としている時はいろいろな手段を使って助けを求めて伝えて下さいというメッセージにも感じ取れます。
子供はまだまだ知らない世界が多く情報の手段がなく孤立してしまいます。
インターネットというツールでも訴えることが出来、あなたを助ける保護することが出来ると伝えることも可能かと思いました。
竜そばの子供に見せたくないSNSの中傷誹謗シーン
近年、インターネットによる中傷誹謗は加速し人の死に繋がることも多くなっていますよね。
全く事実関係のない嘘やストレスを発散するコメント多くなっています。
仮想世界でも顔を見せることがなく、自分であると明かさない限り何でも書き込める世界は現実同様ですよね。
本当に解決したいことはもう一つの世界ではなく現実の世界でかつ、自分自身が解決しないといけないと思います。けれどもけれどあんな甘い解決策で終わらせるなんて納得いかんわ。 竜もベルも細田監督の分身で、作品はネット上の誹謗中傷に対する反論か?。
共感するのはいいけど、中傷に迎合するような人にはなりたくないと思った。
SNSでベルの歌を批判する人々もいることが、悪として描かれていたのが本当に衝撃でした。歌に対し讃美しか許されず、批判はせず沈黙せよとされる社会の方が抑圧的ではないでしょうか。
誹謗中傷とかアンべイルについてとかネット世界の闇ばかり注目されていましたね。この作品はジャスティンみたいな歪んだ正義感で行動する人たちですね。
主人公すずがイケメンのしのぶと付き合っていると仲の良い女子からも誤解され炎上する。SNSで仲間外れにされて中傷誹謗となるのがまさに今を描いているので怖い。
こちらは、ネッ情報社会になってきた現代だからこそいえる賛否両論ですね。
ただ、良いことも一緒に伝え喜びあえるのがSNSのいいところでもありますよね。
作品中は中傷誹謗がシーンがあまりにも多く、子供に見せたくないと感じるファンも少なからずいるのは事実ですね。
今回、子供と観る時は自分たちの教育論について話す機会となり、前向き的に捉えることが出来ればネット批判に繋がらないのではないでしょうか。
竜そばの子供に見せたくない母親がなくなるシーン
川に取り残された子供を助けようとして主人公の母親は亡くなってしまいます。
こちらは、開始されてから間もなくなので一番最初にくる衝撃だと思います。
母親の水難事故シーンはフラッシュバックとなり、嘔吐したり、主人公すずも前に進めなくところからストーリーは展開していきます。
自分の子供の制止を振り切ってまで、命懸けで他人の子供助けに行くとか無いと思う。軽率でただの馬鹿にしか見えない。
竜そばのすずがお母さんを亡くしたトラウマです。私も似たような経験をしたから余計しんどくて泣いた。 多分、今もまだ冷静に観れる自信がない。
すずちゃんのお母さんがした行動はとても無謀なことであり無責任である。
お母さんを亡くしたあの日の回想で真っ先に「川の向こうで泣いている小さな女の子」の像が出てくるのは、すずが心に傷を負った自分自身をあの女の子に投影しているからだと理解できる。あれは彼女自身の姿であり、すずの内面はあの日に置いて行かれたままということです。
お母さんが自分を置いて他人を救おうとした理由は後半でも鈴が竜を助けたシーンへと繋がっていきます。
しかし、お母さんのとった行動が少し軽率過ぎたからSNSでは炎上となっていることや子供たちへの考え方にも影響を与え心配されるひとつの原因となっています。
あまりにも衝動的な行動だったので、すずもけい君を助けに行こうとする行動も衝動的になり重なりあっていますね。
竜そば子供に見せたくないのは歪んだ正義感
Uの秩序を乱すものとして正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ、正体をさらけ出させようとします。
それがジャスティンをリーダーとする自警集団です。
彼らを支えるスポンサーもいますが、仮想世界を作った創始者でもなければUの秩序とは何でしょうか。
Belleも竜を知っているだけで監禁され尋問質問をされ、力ずくで正体を明かす(アンベイル)させられそうになります。
自分たちに従わないものや価値観の違うものはこの世界から排除しても構わないといっており、正当化し他の人たちを洗脳すらしています。
ジャスティン達見てから正義を盾にして他者を攻撃するのは違うと思う。
竜がそんなに脅威だったのか不明ですが、本当の脅威を犯しているのであれば創始者たちも対処すべきです。ただのいじめと暴力にしか見えないです。
ジャスティン軍団の存在意義が何なのかモヤモヤします。伏線で回収されない的な気持ち悪いさはありました。
竜よりやばい犯罪者いるはずです。ジャスティンがベルの竜への執着心がとても謎でした。
ジャスティンはスポンサーに良い顔している集団。がっぽり金を稼ぐために活動してる偽りのヒーロー集団。得体の知れないものを批判し注目が集まり広告費用が発生する。お金のためには何でも出来る。
ジャスティン達自警団の正義感が暴走してるのがネットリアル社会です。自警団なのに何故あそこまで正しい行いをしない者に制裁を与え固執するのか不明です。戦いで相手を叩き潰しすぎているので子供に見せたくない。
過剰に反応していた大人たちが歪んだ正義感を振舞い、正当化する傲慢な集団を観ているようです。
これからの子供たちがこれが大人の社会であることを思わないで欲しいと願うだけです。
何が正しいのか、何が間違っているのかわからなくなってしまう終わり方ではなくやはりどうしなければいけなかったのか道筋を示してあげるような配慮も必要だったのかと思います。
竜そば気持ち悪いとの酷評がある原因はなぜ?
細田守監督のアニメ映画作品でサマーウォーズやバケモノのこ、おおかみこどもの雨と雪、未来のミライなどはとて人気ある一方で、違和感や倫理観を問うことも多く「好きになれない」「気持ち悪い」のという賛否両論の声も聞かれます。
それは子供や女性などに特化し描いた作品も多いと思います。
例えば、オオカミと人間の結婚し子供が誕生しハッピーエンドに着地させたり、子供の一人は狼にする世界観ですが、現実あってはならないことですし問題視されます。
このように竜そばがなぜ気持ち悪いと言われているのか紹介します。
竜そばなぜ気持ち悪いのかは細田守監督の女性観や倫理観
冒頭でもお話ししたように細田監督のアニメでは女性観も問題となっています。
けいの父親は一生懸命子育てをしていると表だって言っているものの実は虐待しています。
すずの父親は子育てにしているが思春期になると母親にかなわない様子を描いています。
父親は見守ることしか出来なく、ワンオペ育児を描いていると声が上がっています。
また、今回も子供における虐待に対して大人の助けてくれなく、女子高校生が助けるというストーリーとなっています。
細田守監督の作品は子供や女性という弱者視点で描かれている作品がとても多いのではないでしょうか。
映像と音楽などが素敵である故に、子供や女性像に対して倫理的な考え方が分からないと酷評が高くあがっているのも事実ですね。
竜そばなぜ気持ち悪いのかはストーリーの矛盾
美女と野獣のオマージュ多くて良く、Uという世界の映像も現実世界の美術、そして音楽がとても綺麗だったと評価さています。
細田監督がそれほどディズニー映画の美女と野獣を愛していたのでしょうね。
その一方で、ストーリーの具体的なシーンや登場人物の矛盾や破綻などが指摘されています。
ストーリーを勢いで観ることも大切であり、作品の迫力に飲み込まれてしまうことも度々あり多少映画の中に矛盾があってもそれを押し通してしまうことも可能です。
しかし、今回は映像や音楽のみに焦点が強く当てられており、美女と野獣の世界観を期待していたためファンは納得いかない部分も多いようです。
一体、現実の世界観で細田監督は何を言いたかったのか悩み考えなければいけなく、ファンも複雑な心境になるシーンも多かったですからね。
竜そば子供に見せたくない?気持ち悪いとの酷評がある原因はなぜ?
竜そば子供に見せたくない?なぜ気持ちわるいとの酷評がある原因はいかがでしたか。
虐待や母の死など子供の孤独により沿っって描写しているシーンも多く、見たくない、見せたくないというファンの気持ちや酷評と騒がれることも理解出来ます。
しかし、なぜ見せたくないのか、気持ち悪いのか大人が子供に理由を話して親子の会話をするのも教育の上で大切な事でもあると思います。
そのような意味では、竜そばは今のリアルな社会を描写しているため、大人だけではなく子供も一緒に考えさせられる映画ではないでしょうか。
賛否両論はありますが、視点を変えて竜そばを観ると新しい発見が生まれると思います。
是非、竜そばを観てみてください。